テーマ:ニュース

 2年生と3年生を対象とする業界仕事研究セミナーが12月まで毎週水曜日に開催されます。その第1回目が11月15日に行われました。実際に企業の方をお招きして、国内外での各業界の動向や、仕事への取り組み姿勢などについて講義をしていただきます。学生たちはビジネスの現場を思い描きながらとても熱心に話に聴き入っていました。 (横井)


テーマ:コラム

 経営学を学んでいると、人々は共通の目的にむけ、高い生産性や効率のためそれぞれ力を合わせ、計画しコミュニケーションをとりながら問題があれば改善策を考えコントロールしていくと習います。ですから学生は、時間を守るルールを最初に身につけ社会に出よう、と教えてきました。でも、これって本当に正しいのでしょうか? 感受性も論理力も極めて優れているのに、約束の時間だけは守れないとういう学生が時々います。

 社会人になると朝決められた時間に出勤し、スケジュールに沿って生活しなくてはいけないことに不自由さを感じる人も多いでしょう。しかし、東京に比べ、地方に行くほど、非公式になるほど時間厳守の重要性は薄れ、南の国に行くと約束の時間通りに訪ねることが失礼に当たる場合もあるようです。それでも社会が回るなら、のんびり暮らしても良さそうです。時間の考え方は地方や時代によって違います。べき論や生産性だけで時間厳守を学生に説得するのは、時間を守らずともうまく世の中が回る実例が他にあるかぎり難しそうです。むしろ、時間を守らないと時間の質が悪化する、という考え方はどうでしょう。

 先日90の父を失いました。2ヶ月前にようやく体力を取り戻し、食事も散歩も楽しんでいたのに、突然あっさり逝ってしまいました。喪失感はまだわきませんが、紅葉や桜を一緒にみたかった。食べたいと言っていたものを食べさせ、会いたいと言っていた人に会わせてあげれば良かった。小康を得た状況がしばらくは続くと思いこんでいたのですが、人生の時間は有限、いつ果てるかは誰にもわからないことを痛感しました。西洋には「カーペディエム=その日の花を摘め」ということわざがあります。日本では一期一会、共にいる人といかに濃密な時間を過ごすかが、洋の東西、時代を問わず大切なのでしょう。

 その時間の質が人の一生を左右します。バードウォッチングを始めた頃出会った二人連れの会話を思い出します。金華山で鷹の渡りを双眼鏡で観察し、あれはクマタカ、これはハチクマ、そっちはノスリと豆粒ほどの影から正確に種類を言い当てて自慢げな小学生の弟子に、師匠のおじさんが「見て当てることより、観る質を高めろよ。今そこにいる鷹にはもう出会えないのだから。」と助言していました。

 人と出会い過ごす時間の質、それは自分にとっても相手にとっても、人生を左右します。90歳まで生きて78万8千時間。時間では実感がわかなければ1時間1円と考えるとどんな人も高々79万円ほどの所持金(所持時間)で一生を終えるのです。うち、26万円は税金のような睡眠時間で、のこり53万円と考えると1円とて無題にできません。父と過ごしたこの半年5千時間はかけがえのない思い出となると同時に、言い古されていても実感できなかった、価値ある時間の意義を教えられました。 (岩崎)


テーマ:ニュース

 この欄は「ニュース」枠をいただいているのですが、何故か今回もプチコラムです。

 現在、研究と授業の両方で「自分を形作った地域」について考えて教えています。
 その中の“おさらい”の意味(+家族の用事と高校の同窓会)で、数日間、故郷の札幌に帰っていました。
 皆さんは、自分の出身地域の何が自分を形作っていると思いますか?
 「地域表象論」の授業では、様々な科学的な外的要因を説明していたのですが、今回の帰郷で、それが“思い出”(強い感情と結びついた記憶)であることを再確認しました。
 例えば取材地から次の取材地へと向かうとき、実家から程近い何の変哲もない川を渡ったのですが、亡くなった弟とサイクリングに来たことを思い出して、当時の感情が湧き起こってきました。
 また写真にある“石狩川河口”は、子供の頃には1度しか行ったことがないのですが、10数年前に札幌で勤務していた時に、ムシャクシャすると無性に海が見たくて行った場所でした。ちなみに、半径1km以内には私1人、2km以内にも4人しか人間がいません。

 この他にも“角の銀行”とか“あの空き地”とか、見慣れた(あるいは見慣れていた)何もないものにも、強い感情が結びついていることがあります。それが無くなってしまっても、記憶には残っているために、場所と自分が強固に結びつき、自分を形作るということになります。
 こうして「何もない」ところにも、実は人によって時間によって、強い意味があることを探し続けることが、地域と自分を知ることの基になっていると思われます。この作業を通じて、「何もない」と思われている(主に岐阜の、瑞穂の)「何かある」場所を探していくことが、本当の地域の姿を考えていくことにつながるのではないかと思います。 (畦地)

 

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