No.733 新メメントモリ

 地域コミュニティから「逃げられない」時代に突入しているという畦地先生のコラムを読んで考えさせられたことがあります。少子高齢化時代に限らず人間が逃げられないもの、それは死です。幸せなことに日本人の平均寿命が改善し戦争や災害が限られた昭和の後半から平成の中で、死にどう向き合うかの知恵の継承は地域コミュニティと同じく消えつつあるのかも知れません。

 死の問題は死者の無念を自分に置きかえ考えるものと思われがちです。しかし、永遠の別れは旅だった人にまさるとも劣らず残された人がつらいものです。頭では分かっていても、この事実を肉体的に経験することが少なかった時代は幸せではありました。少子高齢とは死にゆく人が生まれる人より多い時代、日本中で身近な人の死から逃げられない時代に突入します。

 死者をどう悼み生者はどう慰められればよいのか。死者への思いから徐々に解き放たれ、今度は逆に死者を覚え続けるためにどう振るまえばよいのか。昔は家族や地域の習俗の中で自然と身につけ、反発しながらもいざというときにその意義をかみしめられました。核家族化した今となっては歴史に学ぶか心療内科に通うかしか道がないようにも見えます。では、またムラ社会に戻ればよいのか。一度自由な選択を経験した我々には、その選択肢は難しいでしょう。僕自身体験してはじめて、大切な人との時間と場所を深く共有することがその解決策であることを実感しました。

 人により違うのでしょうが喪失感はすべての気力を奪います。どんどん内向きになる自分がいます。行住坐臥どこにいても何を話しても故人がいないことを感じ、自責の念にさいなまれます。そんなある日、故人と共通の趣味であるバードウォッチングで見つけた探鳥場所で、一羽の黄色い鳥がさえずりもせずまるで僕を待ってくれていたかのように姿を見せてくれました。例年はその美しい声をたよりに姿を探す鳥です。鳥が彼女と過ごした濃密な時間を運んできてくれました。人見知りで普段はすれ違うバードウォッチャーと言葉を交わすことは少ないのですが、その日は多くの人に声をかけ鳥の話をすることであたかも故人が共にいるような安堵感を感じました。出会った人々を通じ彼女が語りだしてくれたのです。

ペストが蔓延した中世ヨーロッパではメメントモリ(死を思え)という言葉が流行しました。言葉の意味はいつ死んでもよいように今を楽しめから、キリスト教的に死後の救済のために現世でも信仰を守って生きよと変化しましたが、今の日本では新メメントモリ、親しい人の喪失感を緩和するためその人の興味と向き合えとなるのではないでしょうか。ムラ社会に戻れないなら、大切な人との時間を深めその場所を共有することが将来のなぐさめへの布石になります。大切な人と興味を共有して家族の問題に向き合えば、それこそが新メメントモリという安堵につながります。20世紀は安心を生命保険で買いましたが、21世紀は家族の興味を通じた緩やかな地域の人々とのつながりが安心安堵の基盤です。そういうビジネスモデルが生まれそうです。 (岩崎)

 

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