朝日大学ビジネス企画学科~Column(コラム-2009/6/8)
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「ルールか裁量か」 <ファイナンシャル・コース>
先週アメリカ大リーグの審判が1試合で4人を退場処分にしたというトピックスが流れていました。ホームでのクロスプレーの判定に抗議したキャッチャーと監督を退場に、その後、球の判定に抗議した相手チームのキャッチャーと監督を退場にしてしまいました。 一般的には試合をぶちこわしたのは審判という見方でしょうが、このようなことは実社会でもよく起こり、皆さんは選手の立場にも、審判の立場にもなります。よく考えると今後社会で生きていくための知恵が色々と見えてきます。 地方から来ている体育会の新入生は、5月の新人戦が終わった後欠席するケースが目立ちました。夏休みも練習がある彼らは、練習が休みになるこの時期に一回実家に帰ろうというわけでしょう。学生の本分はともかく、理解できる行動です。 と書くと、単位を与える審判としての将来には大きな影響を与えます。ああ、この先生は理解できる欠席には甘いから理由をつければ休める、と考える学生も出てくるからです。そのうち、たいした理由もなく休む学生がでてきて(徹マンしましたとか)それが事例となるとさらに欠席が増えるでしょう。 新入生で授業中にトイレといってしばしば席を立つ学生は、高校時代教員の上記のような裁量のおこぼれに預かっていた学生でしょう。社会にでるとこのような甘えっ子は無視されハブされますので、高校の先生の優しさは本人のために裏目に出たことになります。 そこで、審判としては(ちょっと感情的にもなって)ルールを厳しくし1回でも欠席したら成績は不可、と厳罰主義にします。すると欠席は減りますが、強制されて授業に参加する学生は元々持っていた授業への興味も失うかもしれません。つまり冒頭の大リーグの例のように授業はぶちこわしです。 ルールと裁量はこのようにどちらか一方に傾くと当事者の誰かの意欲を下げ、目的を達成できなくなる問題をはらんでいますが、ルールと裁量がなければ円滑な社会生活や経済活動は行えません。そこでルールと裁量のバランスを色々と工夫してきたのが人類の歴史です。スポーツを観戦すると、その人類の知恵が観察できます。 サッカーのイエローカードはルールを次に同じことをやると退場にするぞという将来へのターゲットを示すものです。サッカーの試合をよく見るとイエローカードを出す前にも選手に口頭で注意を与えているのが分かります。これも将来へのターゲットの参加者への提示です。経済活動では不渡りを二度出すと銀行取引停止になりますし、アメリカでは社員を辞めさせる前にあなたのここが問題というワーニングレターを出すのが常識です。 中には、だれも文句をつけない審判もいます。それは、圧倒的な技量を持っている先輩が審判をしているときです。イチローが審判なら誰も文句を言わないでしょう。選手個々より良く見えているはずと皆が信頼するからです。神様が必要な理由はこんなところにもあるかも知れません。カリスマ経営者の判断はイチローの判断のように会社の中で受け入れられ、社内の意思統一がより強い力を生み出すケースも多いのです。 (岩崎)
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