朝日大学ビジネス企画学科~Webマガジン(News&コラム-10/02/01)
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「鍛練期を乗り越えて」
1月25日から始まった学年末定期試験が30日に終了した。試験1週間前から準備期間として、各体育会部活動は、短時間で効率のあるトレーニングを実施した。体力を維持することが目的で試験勉強とトレーニングの両立を図り、メリハリのある生活を過ごした。 さて、4月からは、ほとんどの部で大学の各種大会が開始され、「大学日本一」をめざしている。目標達成のためには、先ず、選手一人ひとりが心身ともに頑強であることだ。 現在は、シーズンオフであるが、トレーニング期で言えば鍛錬期(修養・訓練を積んで、心身・技能を磨く)にあたる。12月頃から2月(約3ヶ月間)までに、いかにこの時期を過ごすかである。体力トレーニングでは、パワー(スピード・筋力)・持久力・敏捷性などの養成をする。特に「持久力」を高めようとすると、走って心臓に負荷をかける苦しいトレーニングに2~3ヶ月の長期間が必要とされる。 厳寒のなか、厳しく・苦しいトレーニングを乗り越えてこそ、目標達成できるのだ。 「鍛錬は、来期の戦績につながる。頑張れ!」 (長屋)
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「転ばぬ先の杖」 <消費者心理コース>
通勤電車で見かけたことです。ギュウギュウではありませんが、立っている人は隣と肩が触れ合うか否かという状態です。隣では初老の女性が本を読みながら立っていました。足もとは不安定でしたが、両手で本を持っていました。発車すると電車は揺れ、女性もよろめき慌ててつり革をつかみます。しばらくして電車の揺れが収まると手を離し、また両手で本を持ちました。安定走行は長く続かず、カーブや加減速で電車は揺れます。同時に女性もふらふらして、慌ててつり革につかまり、収まるとまた離します。それが何度も繰り返され、その度に身体が当たるので少しのイライラを感じつつ、ある疑問が頭に浮かびました。なぜ女性はつり革につかまった手を離してしまうのだろうかと。車内アナウンスでも明らかなように、そもそもつり革は想定される揺れから身を守る予防ツールであり、事後(揺れが起こった後)にすがるツールではありません。突然の揺れがあった際、つり革につかまっていれば転倒するリスクは軽減されますが、揺れてからつかむのは困難で、転倒して怪我をするリスクは高まります。女性は、繰り返しの揺れを経験し、その度によろめいているわけですから、学習効果が働くなら、つり革から手を離さないはずです。なぜ離してしまうのでしょうか。 ひとつには、周囲に人がおり、よろめいてもどうにかなるだろうという安心感が醸成された可能性が考えられます。揺れの大きさによっては、当てにした人もよろめいて、その場所から動いてしまうかもしれません。支える余裕がなくて将棋倒しになるかもしれません。確実ではないのに、最初から他人に自身の安全を委ねる形です。勝手な推測による不確実な安心感が、安全を錯覚させてしまうのでしょう。 もうひとつは、将来の重大な利害より間近の些細な利害を優先する論理が働いた可能性が考えられます。ずっと手を上げてつり革をつかんでいると腕は疲れます。また片手では本を読むのに不便です。揺れがない状態では手を下げていたほうが快適でメリットがあるように見えます。でも、もし突然の揺れで転倒して骨折などしたら、手が疲れるどころの事態ではありません。疲れは休憩で回復しますが、骨折は生活に大きな支障を来たします。本当に避けるべきは、疲れではなく怪我なのに、利害の切迫度合いによって判断が惑わされてしまうのでしょう。 都合の良い推測による錯覚(思い込み)や時間感覚による価値観の誤認は、日常的によく見られる思考パターンです。ビジネスやプライベートの重要な局面では、この思考パターンが大きな損失を招く主要因になることもあります。通勤途中の些細な出来事ですが、前もってつり革をつかんでおくことの大切さを再認識することができました。 (常川)
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