No.727 相棒の話

電話は朝2時6分にかかってきた。12時まで独り飲んでいた頭でも、何が起こったのか聞かずともわかった。またしくじった。スマホを置き2分ほど呆然としたが、娘の連絡先にタッチしすぐ向かえと伝え、LINEをフォローし、新幹線の始発時間を調べた。寒い。ここ数日の花冷えの中、身体のいいしれぬ奥底からそれは伝わってくる。もう一度布団に入ろうか、真っ白なワイシャツがいる、どうでもよいことが頭をよぎるが、身体は無意識で部屋を往復する。2時36分、二度目の電話が鳴る。しばし迷った末、娘をせかしたい欲求を押さえ、義父の固定電話にかける。なぜか起きていた。

昨晩俺は何のために片道3時間かけてもどってきたのだ? そりゃあやっと準備を整え彼女の翌日の退院の許可をもらい、現に症状も少し好転して笑顔も見せてくれたし、夕食も久しぶりに口にしていたし。単身赴任先に一日くらい戻っても変化なかろうという甘い希望への裏付けが、意地を通すというくだらないプライドの背中を押したのだ。そうだ意地だ。なら、今日の授業はなんとしても開講しないと。来週以降起こるだろうこのような日のための準備もかねて岐阜に戻ったのだ。タクシーを呼び研究室にむかい、教員が急に交代しても使える授業教材と講義に用いるパワーポイントを作り、課題をコピーした。頭は働かず、身体が勝手に動いた。

始発まであと30分、最寄り駅まで歩いて向かう道すがら、それは突然こみ上げてきた。気づかぬうちに声にならない声がもれている。夜明けどきでよかった。花粉症の時期でよかった。意識が混濁する直前、看護師の「ご主人がいつも一緒でいいね」との問いかけに、彼女はすでにこわばった舌で「あ、い、ぼ、う」と応え、かろうじて意志通り動く目だけでにっこり笑った。安直な「大丈夫」を38年間連発し、あれだけ彼女の期待を裏切りしくじり続けてきた俺のことを、懲りずに。

下町のタンポポという若い頃のあだ名のとおり、最期まで人の良い面だけをみて邪気を感じず、頑固で押されても踏まれても明るく人に寄りそい働いた君の相棒だなんて、俺は何という果報者だったのだろう。俺と同じく人のせいにするのが大嫌いで仕事好きだった。俺と違って言い訳が大嫌いで子ども好きだった。人の目を気にせず、自分の原則には頑固だった。肩肘はってコンプレックスで歩む俺が、彼女の前だけでは素直になれた、自分らしくあれた、甘えられた。家族の繋がりは、大黒柱の太さではなくタンポポのしなやかさに支えられていた。

岐阜での俺の単身生活に17年間月に一度顔をだす彼女は、学生達の活動を我が子のように見つめ、喜び、案じていた。俺が定年を迎えても、心配な学生を送り出すまでは、伝わらなくても声をかけ信じて見守りなさいと、背中を押してくれた。そうか、意地じゃなかったんだ。旅立つ10日前今年の入学式の写真を見てこんなラインが来たっけ。

「晴ちゃん、晴ちゃん(生後2ヶ月の初孫の名)、

朝日大学の入学式だよ

桜と青い空の間を赤い毛氈が通って行くみたいよ(ママ)。

おめでとうおめでとうみんなおめでとう」

苦しみの中でも俺の仕事に寄りそってくれたタンポポ、わがままを最期まで聴いてくれて、ありがとう。さようならそしてすぐ会おう。君がいなければまっすぐに生きていけない俺の中には、いつまでも君がいる。だって、あいぼうだから。(岩崎)

 

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