No.690 試験はなぜやるの?

試験期間も終わりいよいよ夏休みです。試験など忘れて冒険しましょう。しかしそもそも試験なんてなぜやっているのでしょうか? 資格試験ならまだ分かります。医療知識のない人に病気を看てもらいたいとは思いません。大卒かどうかで貧困率が変わる今の時代、単位のためというのも分からないではないですが、日本では勉強した人もしなかった人も大体卒業できるのが現実です。高校と違って自分の興味あることを学ぶのが大学というタテマエを言う大人もいますが、だったらなおさら試験なんていりません。コミケに集う人は試験なんか受けなくても一瞬でニワカか筋金入りかを判断され、そのためにも集中して自分の押しの知識をトリビアに至るまで自発的に記憶します。卒業時にオタクの先生が学生とちょっと話せば、それで彼が興味を持った知識を仕入れたかは5分で分かるはずです。

試験をする教員の側からもこのくそ暑い時期に何で何百人も採点するのかという声が聞こえてきそうですが、実は別のことを考えています。知識は使ってみて、あるいは人に伝えてみて、はじめて定着するという経験があるからです。ですから、試験は一つの実践的授業、そこでの成功と失敗から知識と技術を定着させるプロセスと見ています。何点とれたと他人と比較することに気を使うのは時間の無駄です。各授業から得ようとしていたものが手に入ったか否かを確認しその原因を知り、さらに実際に使ってみて納得できたか考えが浅かったかを知る機会なのです。試験のあとから本当の知識が広がるのですが、現在の半期、試験1回が大半の授業制度では、このつなぎが十分ではありません。

各教員が工夫していますが、僕は毎回復習の宿題をやってもらいそこでの解答や疑問に次回以降の授業冒頭に応えることでこの関係に気づいてもらい、試験後すぐに模範解答を掲示し考えてもらいます。今年の試験1問目は授業全体の濃縮した要約、2問目は知識細部の確認、3問目は専門用語の概念の記述、4問目はケーススタディ、5問目は抽象的な理論に対する具体的実例の連想記述としました。記述式の問題は、授業で説明したポイントの記述があれば部分点をつけていきます。決して感覚では採点しません。

記述の採点をしていると2種の興味深い答案に出会います。勉強しているけど広がりのない答案と、なるほどこの手があったかと可能性を感じるのに知識が足りない答案です。前者は5問目を抽象的な言い換えでしか答えられず、後者は1,2問目があやふやです。日本の試験ではフィギュアスケートと違い芸術印象点がないため、前者の成績が高く評価され、後者の成績は低く評価されがちです。しかし、採点をして翌年の授業を変える決断を促すのは後者の答案からもらったヒントです。つまり試験は、学生が教員により深く考えるヒントをくれる本来のアカデミーとしての役割も担っています。日本の将来のためには後者の学生を覚醒させることが大切でしょう。そのためには試験は口頭諮問にして、学生に自分の長所とそれを覚醒させる知識に気づかせたいなあと、常々思います。

あ、冒険の話は、また来週。 (岩崎)

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