No.692 落ちない語り(1):三遊亭圓生~メディアの戦略的利用

 落語を聞くようになったのは遠野の昔話を聞いたのがきっかけだったから、まだ5年ほどということになる。しかも、ほとんどCDのみでライブは数回なのだから、ファンというのもおこがましいかもしれない。

 2008年に初めて岩手に足を踏み入れ、その文化に触れるようになった。後に研究の中心となった岩泉はもとより、地域文化を観光資源として活かしている遠野のあり方には、強い感銘を受けた。

 そこで土産に買った昔話のCDは、同じ話でも語り手ごとに全く色の違うものとなっていた。特に怪奇譚である「サムトの婆」は、柳田国男(佐々木喜善)のテキストでは読み逃してしまうような小文なのだが、語り手によっては這い寄るような不気味さと寒気、“婆さま”の悲しみを染み入らせる物語となっている。

 なぜ、同じテキストなのに、語り手により伝わるものが異なるのか。

 何が、同じテキストの感じさせ方を変えているのか。

 そもそもの大きな研究テーマの一つである「メッセージの多重性」を、遠野の昔話は新たな具体例として気づかせてくれた。

 しかし、遠野に行くたび、あるいは図書館などで素材を漁ってみたものの、昔話の語りは音源が少ない。一方で、同様の口承芸能として、豊富な音盤が残されているジャンルが存在する。

 落語である。

 というわけで、僕と落語の出会いは、図書館で貸し出していた六代目三遊亭圓生の全集から始まった。

 圓生は昭和の名人の一人である。非常に多くの噺を口演することができた上に、その多くを録音して後世に残すことをライフワークとした。落語に興味を持った者は、教科書代わり、事典代わりに全集に当たることができることが、数ある圓生の功績の一つである。

 圓生の録音に対する試みは、カナダのピアニスト、グレン・グールドを彷彿とさせる。マクルーハンのように気の利いたことは書けないが、少なくとも圓生は、自分の口演を残すことに強い意識を持った、最初の噺家と言えるのではないだろうか。

 教科書代わりと述べたが、文字に起こされた明治期の三遊亭円朝の作品とは異なり(ただし、円朝のメディアに対する先進性・貪欲性についても、いつかは述べたい)、圓生の噺は活きている。実際に寄席やホールで面前にした場合とは伝わるものは異なるだろうが、少なくともその息づかいや口舌、声勢を感じることは可能である。

 自らの芸はテキストではなく、客席との瞬間の相互作用だけでもなく、残せる作品である。当時、飛躍的に技術が発展した録音機器に真正面から食いついていき、自覚的・戦略的に芸を残すことを選んだ、圓生の貪欲さには感じ入るばかりである。

 ともすれば、端正で生真面目な芸と取られる圓生は、実際は饒舌な語り口である。噺の中でのくすぐりが、実は全て稽古の時に練り上げられており、昨今の落語に見られる即興的なトークではないという説もある。しかし、それを含めて圓生に見られるのは、あくまで客を楽しませようとする芸人の心意気だと思う。大がかりな人情噺で取り上げられることが多いが、「がまの油」の口上の見事さと馬鹿馬鹿しさが、圓生の本質にあるような気がしている。 (畦地)

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