No.696 落ちない語り(2):金原亭馬生~悪の陳腐さ

 きんばらていまうは(注1)、昭和の名人・五代目古今亭志ん生の子で、現代古典の巨人・三代目古今亭志ん朝の兄である。CDで聞くと父親と区別がつかないほどそっくりな音源があるが、志ん生より粋で軽妙洒脱、かつ生真面目で折り目正しく(この辺は、弟の志ん朝と共通するように思える)感じる。大変な勉強家・考証家であったと伝えられ、折り目正しく演じられた人情噺も絶品だが、「それはそーすけさんがあ!」の“二番煎じ”や「どぉ~もぉ~」「なんだい、ありゃ!?」の“そば清”なんかが癖になり、トラックを繰り返し聞いてしまう。こうして落し噺よし、人情噺よし、書き切れないが芝居話もよしの馬生だが、実はその真骨頂は怪談にあると思われる。
 馬生の怪談は怖い。
 その怖さは、人間の怖さである。さらに言うのであれば、どこにでもいる普通の人間の持つ恐ろしい一面を、落し噺のように飄々と、それでいて深く描写し尽くすことが、馬生の恐ろしさだと思える。
 “もう半分”は類型としては、いわゆる「六部殺し」に分類される噺である。居酒屋に立ち寄った「(酒を)もう半分ください」と言う妙な癖を持つ老人が、大金を忘れ帰る。それに気づき戻ってくるが、居酒屋夫婦は知らぬ存ぜぬと、とぼけて返さない。その金は老いた親に店を持たせるために、娘が身を売って作った金だと懇願するが、返してもらえないことに絶望し、老人は川に身を投げて死んでしまう。その金で店を設けた居酒屋夫妻には子供が産まれるが、その赤ん坊は死んだ老人にそっくりで、衝撃を受けた妻は産後の肥立ちが悪く死んでしまう。乳母を雇うが長続きせず、主人が理由を尋ねると、赤ん坊が夜な夜な行燈の油を舐めるという。確かめようと主人が夜見張っていると、確かに歩けもしないはずの赤ん坊が、行燈に行き油を舐め始める。「化けたなっ、このじじいっ!」ふりむいた赤ん坊は一言。「もう半分ください」
 同様の都市伝説(怪談)が流布していることからも、構造の優れた因果応報譚であることは間違いない。だが、馬生の噺の怖さは、そこではない。
 おかみさん(妻)の造形である。
 老人が大金を忘れたことに気づき、後を追いかけようとする主人に、妻は言う。「『なかった』って言えば済むじゃないの」「あのおじいさんに運が無かったのよ。そう思って、諦めてもらいましょう」
 妻は徹頭徹尾、自分のことしか考えていない。金を無くした老人が、どれほど困り果て、娘の不遇を述べても、生まれてくる自分の子供と新たな店のことを言い訳にして金を返そうとしない。その身勝手さ、醜さを、馬生は淡々と演じる。決してヒステリックではなく、感情さえ感じさせず。「ないのにそんなこと言うと、私たち盗ったみたいじゃないの」
 ハンナ・アーレントは、悪の陳腐さという概念で、普通の人間の中にある残虐性の可能性を指摘した。人は、自分の責任を問われず、他人の立場を考えずに済むときに、巨悪を犯す。その理由は、その人が怪物的な悪人であるからではなく、普通の人間であるためである。誰もが、与えられた状況によって、他人を傷つけ死に追いやるような行為をする可能性を持つ。
 馬生は戦時中に、病弱だったことから軍への志願を諦め、落語の世界に入った。当時は高座に上がれる噺家が少なく、また父・志ん生の七光りもあり、いきなり二つ目からの香盤だった。だが、志ん生が慰問先の満州から帰れぬ数年間、楽屋での壮絶ないびりに遭い、辛酸を舐め尽くしたという。
 馬生はその時、人間の何を見たのか。
 もしかすると、普通の人間が、自分の責任を問われない中で行う醜いことの全てを見たのではないか。
 馬生の怪談で市井の人物が、にわかに狂気とは見えない狂気をひらめかせる時、この噺家が自らの中に貯えた闇を見るような気がするのである。だが、普段はその闇を秘し、楽しい人物たちの肉としていからこそ、馬生の噺は深みを持ち、今もなお根強いファンを持ち続けるのであろう。
 ところで、春風亭一朝師匠が“紙屑屋”で、馬生の出囃子「鞍馬」を全曲(長い!)演ってくれたのは、本当に楽しめた。ITMSで手軽に入手できる「三田落語会」、マジおすすめ。 (畦地)

 

(注1)無学な大学教授ならではの間違い(立川志らく「雨ン中の、らくだ」(新潮文庫)参照)。

   もちろん正しくは(十代目)“きんげんていばしょう”。 

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