No.700 仕事の未来

 

最近我が家では、朝「アレクサおはよう。」というのが日課です。スピーカーが今日の歴史や行事を説明してくれ、冷蔵庫を開けて炭酸が切れていれば、アレクサ炭酸頼んで、というといつもの銘柄を注文してくれます。音楽でも映画でも、かけてというだけで再生されます。座っているだけで動かなくても良い生活が可能ですから、高齢で身体が不自由になっても、他人に頼らなくて良い時代が来るかも知れません。

人の世話にならずにすむことはお金と気遣いの両面でありがたいのですが、社会の仕事とはなんらかの形で人の役に立つことの一端を担うことであり、その報酬で生活しているのが現代社会です。人の役に立つ一端が、どんどんルンバのようなロボットやシリやアレクサのようなAIに置き換えられると、僕たちは働かなくてよい時代を迎えるのでしょうか? それとも働き口がない時代に突入するのでしょうか。

働かなくてよい時代と考えると、「南の島のハメハメハ大王」の歌のようなのんびりした世界が頭に浮かびます。雨が降ったらお休みで風が吹いたら寝てしまっても、食事も服も手に入る時代です。ベーシックインカムとは、政府が全ての国民に対し最低限の生活を送るための資金を提供する考え方ですが、無料のAIやロボットが生活を支えるのであれば、社会全体としてこの制度の実現性も高いかも知れません。ただし、南の島の生活は自然の恵みに支えられたものです。時には台風に流されたり、不漁が続いて飢え死にしたりするかも知れません。人々は自然をおそれ敬います。同じ事がベーシックインカムの時代にも起こるかも知れません。人々は政府や世界的大ネット企業(政府はなくなっているかも知れません)まかせで、それを神として恐れ讃えるかもしれません。当面食うに困らないでしょうが、その本質は突然理不尽な不幸が待ち受ける石器時代と同等の幸福です。

働き口のない時代はもう少し悲惨かも知れません。他人の役に立つように両親や学校を通じ身につけた知識や能力が、場合によって否定され誰も給料を払わない世界です。人類の歴史の中には似たような時代が何度かありました。時代劇でおなじみの江戸時代のリアルは、農村で食べられない人たちが全国から江戸や大坂に集まってきて無宿人(浮浪者)となりました。肉体労働仕事(人足)を与える場所や、大部屋に住む給料のない丁稚でご飯を食べさせてもらう人が増えましたが、皆狭い部屋に住んでいるので流行病でバタバタ死んだようです。もちろん江戸時代でも社会変化(農民には税金がかかったが商工業にはかからなかった)に対応した人は豊かに暮らしましたが、その本質は言い換えれば貧富の差が広がる時代です。

もし人生は自分で決め、かつ他人の役に立つ満足感を得たいのなら、社会や仕事がどう変わるか納得いくまで考えを煮詰めて、必要な能力を磨く必要があります。4年生ゼミの最後の課題は、仕事の未来を皆で議論することにしました。 (岩崎)

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