No.733 歴史と連なる

 今年もまた、「建学の精神と社会生活」の授業が始まりました。各界の先生に話を伺いオムニバス形式で人間的知性とは何かを考えるこの授業は、教員にとっても大きな楽しみです。昨年に続き中学校校長を歴任された酒井寛先生に岐阜県の治水の歴史を講義いただいたら、また新たな気づきがありました。

 この地方の水害を実際に救うのは有名な薩摩義士ではなく、忘れられたデ・レーケというオランダ人技師ですが、彼が示した①上流の砂防と植林、②木曽川、長良川、揖斐川の分流、③川底を深く直線にして一気に土砂を海に流すという3つの方針は、流域を徹底して何ヶ月か歩き回り、上流地域まで自らの目で見ることから生み出されたそうです。外来の知識を単に当てはめたのではなく、わずか数百メートルの川岸を3つの藩が支配するような分割統治の体制の中で力をあわせ護岸を維持する意識がなく荒れ果てた様を観察して、技師としての知識をどう活かすか工夫を凝らした結果だそうです。デ・レーケの行動力に化学の酒井先生がなぜ気づかれたのか不思議だったのですが講演後の雑談でわかりました。

 先生の信条は「まず行動を起こしつつ考えること」、教員時代自分が幼い頃から百々ヶ峰(どどがみね)として見上げていた岐阜市最高峰が、実際の地図には名前がなく1キロも西の低い三角点の名となっていることに気づきます。生徒に岐阜市で一番高い山が金華山と間違えられたり名前なしで答えられなかったりする状況を憂い、彼は国土地理院に地形図改訂を訴えます。市役所に相談しても担当者から最高峰が百々ヶ峰である証拠を示すことを求められます。彼は専門外の古文書を調べ上げ江戸末期の古地図で地名を確認、大正時代に陸軍の地図が別の三角点を間違って名付けたことも発見し改訂を成し遂げます。

 これだけでもその観察力と行動力に驚かされますが、先生の話はまだ続きます。なぜ百々ヶ峰などという妙な名前なのか? 十六世紀以降領主の名前からついたという常説では昔からある最高峰の名前としては不自然と思っていたら、古い朝鮮語で日が昇る山という意味ではないかとの話を耳にします。

 百々ヶ峰を名付けた人は山の西に住んでいたはずと目星をつけ10キロほど西に1000基近い墳墓があるといわれる舟木山古墳群(大学から北約10キロ)があることに気がつきます。早速、秋分の日に舟木山の麓に向かった彼は、朝日がちょうど百々ヶ峰から昇るのに遭遇し仮説への確信を深めていきます。さらに古文書を調べるとその地(現在の西郷のあたり)には、白村江の戦いで斉明天皇に献上された唐・新羅連合軍の捕虜が住んだ地でモロコシと呼ばれていたことも判明します。

 先生の調査は今も続いていますが、百々ヶ峰のピタリ真南には一宮の真清田神社が、冬至の太陽が昇る方向には前期古墳の形の前方後方墳である犬山の東野宮古墳があることに気がつきます。では沈む方向には何があるか? 養老町の多岐神社があり象鼻山古墳群としても有名な地でした。先生によると冬至は太陽が1年に一度死に新たに生まれ変わる日、僕たちの町は2000年近い歴史と国際性に連なる場所、何だか元気が出てきます。 (岩崎)

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