No.770 鳥のように

今年は酉年。「鳥のように自由に生きたい」と言われると、自分のお気に入りの歌を一つ二つ思い出す人も多いでしょう。あらゆる地域のあらゆる時代で広い空をどこにでも飛べる鳥に人々はあこがれを抱いてきました。それは、世界中に自由と平等が広まった21世紀でも変わらないようです。

多くの野鳥は日本だけに住んでいるのではなく、季節によってシベリアや満州、遠くはオーストラリアから日本に渡ってきます。人間のように国境もパスポートも妨げになりません。しかも、法律で「生物の多様性の確保、生活環境の保全又は農林水産業の健全な発展を図る観点から、…その生息数の水準及びその生息地の範囲を維持すること」とされていて、勝手に捕獲、駆除することはできません。鳥たちの自由は国家からも保証されているのです。

しかし、2005年頃からこの自由を考えさせる問題が起こってきました。鳥インフルエンザです。水鳥を宿主とする鳥だけのインフルエンザには、強毒性を持つものがありこれらによる野鳥の大量死が発生、頻度高く鳥と接する養鶏場の人間に感染する等のケースがまれに出てきたのです。現在のところ、強毒性のこのウィルスが人から人へ感染することはほとんどありませんが、将来突然変異によりそのように変化する可能性がここ10年指摘されています。病気の感染を食い止めようにも鳥には入国検疫がありませんから水際といっても限界があります。野鳥の死骸やフンのウィルスをチェックしつつ、養鶏場等の単位で家禽を継続して検査、発生すればその養鶏場は殺処分、その周囲数キロも出荷を差し止めて様子を見ます。

自由に生きている鳥から病気をうつされるなんて不公平にも感じますが、他人の意志ではなく自分の意志で物事を決め行動する「自由」という考え方自体が、ある種の病気のように多くの死を乗り越えて全世界に広がっていったのが近代の歴史とも言えます。

卵を奪われ時には殺処分もあるけど、普段は餌に不自由せず健康状態も維持される環境で生きていける管理されたニワトリと、飛び回れるがその鳥生の大半を餌探しと縄張り争いに費やし、多くの場合命を失う自由な野鳥、この両者のいいとこどりを試みてきたのが人間の知性の歴史です。そして「自由」な人々の新しい様々な意見には、検疫を施すことはできません。思想信条の自由を失えば人類の知性の多様性の確保も失われ、新たな発展の機会を奪うからです。

今年は鳥のように「自由」に生きたいのであれば、受け入れがたい意見でも自分の頭で深く考えて、良い点をたくみに取り入れる努力が問われます。ウィルスやそれに対抗して野鳥が変異するように。(岩崎)

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