No.762 Sapporo Sight-Seeing (5) 未来への道(新さっぽろ駅 出口1通路)

 札幌市青少年科学館が開館したのは1981年で、私が11歳(小学5年生)の時でした。その後、小学校の見学、親に連れられて、中学校に上がってからは弟と二人で…子供時代に何度も訪れた場所です。自宅からは市営地下鉄東西線で1本という手軽さもあり、また最新の科学技術が学べる展示・プラネタリウムもあり、小中学生は無料!ということで、ヘヴィ・リピーターとなっていたのでした。成人して、札幌で就職していた時期も年2~3回のペース、出張等で札幌を訪れるときも3回に1度ぐらいは足を運ぶような場所です。

 館のある市営地下鉄新さっぽろ駅に到着すると、通らなければならないのは長~い地下通路。地下鉄駅はJR駅と交差する場所、大規模商業施設の地下に設置されているため、子供心に「科学館は遠い僻地に追いやられているんだ」と思っていました。その通路の先には、これまた深~い(見方を変えると高~い)エスカレーターがあり、これも「すごい深いところに駅があってすごい!」と思っていました。

 この通路には壁画が飾ってあります。写真は左側半分で見切れていますが、右には地球の創生から始まり、生物の進化が描かれ、最後は人類の英知と未来へと至るものです。アルミ板に刻まれた壁画は半永久的に色あせないという触れ込みでした。子供を「未来社会がやってくる!」という希望に染める、良き役割を果たしていると思います。

 が、オッサンになって。

 訪れた未来は、おおよそ当時の延長線上で、ドラスティックに変化したようには見えないのですね。相変わらず地下鉄はゴムタイヤで、浮上式リニアモーターカーでも超高速でもないし。むしろ当時の「ゴムタイヤ方式/高架部シェルターつきの地下鉄は札幌だけ!全国でも珍しい自動改札機!!」という興奮の方が、未来だった気がするのです。

 あれほど長かった通路、深かったエスカレーターも、東京駅京葉線ホームを経験してしまった今となっては「あれ?こんなに短く浅い通路だったっけ?」という驚きがあります。壁画も、子供の時にはもっと(ボイジャー探査機に乗せられた黄金レコードのように)輝いていたように見えたのですが…。未来への道も、今となっては殺風景な地下通路として目に映ります。

 科学館自体も機材の更新はされているのですが…北海道最大を誇ったプラネタリウムのドーム径(18.0m)も、実は岐阜市科学館(20.0m、1980年設置)より小さいという…。なにより2階「北半球儀」を3階から見学できる窓から、スペースシャトルのモックアップがなくなってしまった(国際宇宙ステーションのギミックになってしまっている)ということが、時代の移り変わりを感じさせます。(スペースシャトル=宇宙コロニー=ガンダムの世代です)。

 単に体が大きくなったせいなのか、物事を知ってしまったからなのか、老化なのか。主観的には「子供の頃から自分は全く変わっていない」と思えるために、逆に町の方が何万年分も風化しているような、奇妙な感覚にとらわれます。

 ところで。1982年3月21日「浦河沖地震」発災の丁度その時、その日が開業だった新さっぽろ駅で、小学校の友達Yくんと到着車両を降りるところだったのでした。「新しい駅は、列車が止まってもずいぶん車両が揺れるなあ」と思っていたら(札幌には珍しい)震度4の大地震だったという…。そんな思い出を書いている合間に検索してみると、Yくんは立派な内科医になって開業していました。院長近影は子供の頃と同じ顔をしており、これも不思議な“既未来視感”を感じさせます。(畦地)

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