テーマ:コラム

 お初にお目にかかります。4月に経営学科からプチ異動してきた畦地真太郎(あぜち しんたろう)と申します。縁あって、本欄の一部を担当することとなりました、以降お見知りおきを。
 さて、ビジネス企画学科では日が浅いが(それにしては共同研究室では100年も前から居座っているような大きな顔をしているが)、実は朝日大学に雇っていただいて、かれこれ12年になる。この間、岐阜・愛知地域では様々なご挨拶を申し述べる機会があったが、名乗る時に、必ず言われる言葉がある。

「畦地さんって珍しい苗字ですね」「初めて見ました」「ご出身はどちらですか?」

 13年目の現在では「祖先は金沢の近くですが、僕自身は札幌出身です。祖父が津波で有名な奥尻島に渡ったので…」と、すでに感情も動揺もなく返している。
 北海道は移民の地なので、聞いたことのない苗字を持つ人は100万人ほど存在しているし、そもそも出自を問う習慣もない。学生時代から長く住んでいた関西も、様々な地方から人が流入するせいか、苗字を珍しがられた経験は少ない。こちらからすると岐阜姓の一部の方が“珍しい苗字”なのだが、ここは地域内でも互いに出身地を尋ねあったりしているのだろうか。
 一方で、自然体験活動関係でお知り合いになる方々からは、ほとんど「珍しい」だの「読めない」だのいう言葉は聞かれない。山岳経験のある人から尋ねられるのは「(山の版画家として知られる)畦地梅太郎先生のお孫さんですか?」。その時には小さくなって「いえ、家系から無関係なんです…」とお答えする。実は私は3月生まれのため、名前の最終候補に桃太郎が残っていたらしい。畦地桃太郎。邪気祓いができそうな素晴らしい名前なのだが、ますますもってパチもんくさい。
 私の先祖は、現在は加賀市の一部となっている大聖寺から出ている。ネットの情報では、山中温泉のすぐ下が発祥なのだそうだ。我が家に伝わる話では、庄屋だったとか、漆をやっていたとかいうことなのだが、祖父が移民なのでハッキリしない。またそれは、どうも眉唾物の話のようである。
 我が家の家紋は丸に蔦である。一般に丸入り紋は分家を示すとされており、庄屋(?)であろうはずもない。さらに加賀の方言では「あじち」は分家を指しており、ますます本家本筋ではないことを示している。一説によると「(役立たずの)長男が(押し込められて)分家になった場合」に使われたと言葉だとのこと。
 ちなみに岐阜の中でも飛騨の方は、ほぼ100%、畦地を読んでいただける。やはり分家を指す言葉なのだそうだ。畦地(あじち)については、加賀・飛弾に越中を合わせた地域で、共通言語圏が形成されているらしい。
 しかし、実は畦地の中で、私の一族(の祖)である“大聖寺畦地”の勢力は極めて小さい。次回は主流派の“黒潮畦地”について述べることとしたい。 (畦地)

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