テーマ:コラム

 鉄砲伝来で有名な種子島を発祥とする苗字に「阿世知」さんがいる。九州では珍しくない苗字のようで、例えば過去にはNHKに阿世知アナウンサーが在籍していた。

 この阿世知が鹿児島県に入って変化したと考えられるのが、大隅半島の畦地である。南大隅町には、知る限り日本で唯一の「畦地」という地名のついたバス停が存在する。Googleストリートビューで確認すると(国道269号線、薩英戦争砲台跡の近く)、対岸に開聞岳を望む、風光明媚な海岸である。この地名は、薩摩藩の統治制度による名残であるらしい。つまり薩摩では、畦地さんは名主だった(?)ようだ。

 次に畦地の多い地域は、四国南部の足摺岬側である。前回挙げた画家の畦地梅太郎氏の出身も、愛媛県南部(高知県との県境)に当たる。この地域には、日本一有名な“四万十ドラマの畦地さん”がいらっしゃり、父子鷹で地域活性化に邁進している。

 さて、本州は三重県の尾鷲地区には、日本最大の畦地密集地が存在する。某電話帳データ検索サイトを利用すると、日本最大の畦地人口を有する結果となるのが紀北町である。熊野灘をかかえるこの地区には、カキ養殖で有名な畦地水産を始め、マグロ養殖をされている畦地さんなど、多くの畦地さんが水産関係の仕事をされている。全く関係ないんだけれども、うちの父も水産関係だなあ。

 さて、種子島から足摺岬を経て熊野灘にという分布帯は、黒潮の流れに沿っている。柳田國男の説は言う間でもなく、小説家の白石一郎も種子島と熊野の交流(同一姓の存在、種子島における熊野神社の存在)を述べている。この一帯に分布する畦地さんは、黒潮による交流・交易の結果広まった“黒潮畦地”なのではないだろうか。我らが大聖寺畦地を除くと、他に全国どこにも畦地姓が集住する地域が見られないことが、この説を裏付けているように思われる。

 こうしてどうでもいいような疑問でも、調べて始めると止まらなくなっていくことが、研究への第一歩となる。今回の駄文は、主にインターネット検索の結果に基づいているため、ほとんど思いつきの域を出ず、信憑性も低い。しかし、例えば先祖の過去帳に当たり、全国の畦地さんにインタビューを行うことにより、これは立派な一本の研究とすることができる。もし将来「畦地の謎」という単行本が書評に紹介されていたら、ぜひ購入してご一読いただきたい。版元は雄山閣がいいなあ。 (畦地)

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