テーマ:コラム

 大学へ歩く通いなれた土手で、夜めずらしく対向車が来ました。幅が2Mないので地元の人も車ではめったに通らないのですが、土手から降りる三叉路の手前で僕が通り過ぎるのを待っています。待たせるのは申し訳ないなと思い、切り返し側によけて場所を譲ろうとしたら、40センチほど落下して膝と手と頭で三点着地してしまいました。対向車のライトがまぶしくよけた側の暗闇が足元と同じ高さにしか見えなかったのです。しこたまアスファルトで削られた擦り傷ですみましたが、もう少し高かったら大けがだったかも知れません。

 車の人に怒りをぶつけるわけにもいかず家に帰って不機嫌に手当てをしていて、はたと思いだしました。前に取りあげた「極夜行」の中に暗闇で月明かりを頼りにすると、見えているつもりでも遠近感や陰影がなく、小さな岩が大きな絶壁に見えたり数メートル先の落とし物の影に気がつかず探し回ったりするというのです。つい先日得た知識がまったく身についていない自分に気がつき、吹き出してしまいました。

 本自体は夢中で読めかつ理解できるものでした。それなのになぜ闇夜の知識を活かせなかったのか? 自分に降りかかるとはまったく想像できなかったからです。何年も通い慣れたよく知っている夜道で、自分がこんなに簡単に騙されるとは。つまり、人ごとだったのです。授業では皆さんの興味をどう惹こうか、わかりやすく説明するかに気を配りますが、これだけでは不十分だと言うことが痛いほど、いや痛かった分だけよくわかりました。

 世の中には粉飾、セクハラ、パワハラ、忖度、そういったニュースが一杯です。こうした事態は組織の信用に大きく影響を与えるため、企業、役所や学校でも問題意識を植えつけようと様々な研修が行われています。粉飾をやる人はよほどの悪人に見えます。しかし、彼らは悪人ではないのかも知れません。むしろ、「よかれと思って」「正義のために」? パワハラしたり忖度したりしている可能性が高いのです。だから研修を聞いても、それは人ごとですから反省なんてしません。通勤経路のように軽いセクハラなどが日常化していると、知識はあってもリスクに気がつかなくなります。「その行動を自分の上司の娘に対してやるか? 」といった自分が主語の問いかけか、外部からの厳しい叱責がないと気づかないのです。

 「よかれ」も「正義」もそれを実行する人にとってはある意味で快楽です。ヨーロッパ貴族の最大の楽しみは、施しという社会「正義」の実行でした。しかし、快楽の追求は行き過ぎると死を招きます。ボクシングも東芝もそうかも知れません。僕も興味深い知識を得ても反省なんかしませでしたが、手遅れになる前に早々に自分に返ってきました。良かった。善人は早死にするのではなく、自分のこととして学ばない善人は早死にするのです。 (岩崎)

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