テーマ:コラム

 生き物の姿が絶えた超未来巨大階層都市の中を、食料と燃料を求めて2人の少女が最上層を目指し彷徨するマンガ「少女終末旅行」(つくみず/新潮社)のラストについては様々な解釈があるが、私は2人が何らかの方法で「生きている」と考える派である。なぜなら、主人公の2人の名前が、ボストーク計画の2人の飛行士、ユーリ・ガガーリンとウラジミール・チトフにちなんでいるからである。2人は生きて、帰ってきた。
 同じソ連の宇宙計画の中で生きて帰らなかったことにより、後世のポップ・カルチャーに大きな影響を残した者がいる。映画化もされたレイダル・イェンソンの小説「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」は、死ぬとわかっていながらスプートニク2号に乗せられ宇宙に打ち上げられた犬に比べると、自分の人生はまだマシなものだと考える少年が主人公である。この犬の名前については、1)ライカという名前であった、2)ライカ犬という犬種であった、3)クドリャフカ(巻き毛ちゃん)と名付けられたスピッツである、と諸説あるが、ソ連時代宇宙開発の歴史の闇に埋もれてしまい、正確なことは分かっていない。ちなみに「クドリャフカ」説に基づいて設定が行われたのが、美少女ゲーム「クドわふたー」のヒロイン、能美クドリャフカである(アニメ化おめでとうございます)。
 スプートニク計画にまつわる犬には、もう一匹有名な者がいる。飛行士と犬が宇宙空間で謎の失踪を遂げたために、冷戦時代の情報操作の中で計画自体がなかったことにされている打ち上げがあった。その宇宙船に乗せられていた犬の名が、クローカである。とはいえ、これはジョアン・フォンクベルタの(フェイク・ドキュメンタリー)小説「スプートニク」の中でのお話。だが、その迫真性とストーリーの秀逸性により、これもその後のポップ・カルチャーに与えた影響が大きい。新居昭乃による同名の楽曲「スプートニク」では、愛する恋人と離れる自分を、二度と帰れぬ宇宙へ打ち上げられたライカ犬(クローカに歌いかけているので、自身はクドリャフカなのだと思われる)に擬している。
 曲のイントロで朗読されるのが、エフゲニー・エフトゥシェンコの詩である。元々は無題の詩らしいのだが、一般的に「人々」として知られているため、この稿でもそれに従う。そもそもフォンクベルタの偽ドキュメンタリーに引用されている詩であり、「これも創作(大嘘)なんじゃねえの?」と一時期疑っていたが、インターネット時代とは恐ろしいもので真作であることが確認できた。なぜ創作を疑っていたかというと、日本における数少ないエフトゥシェンコの翻訳詩集2冊「白い雪が降る」「エフトゥシェンコ詩集」(いずれも草加外吉訳)に「人々」の存在が確認できないからである。逆に、翻訳権が確保されていない1970年以前の外国出版物の翻訳・公表は著作権違反に問われないという、ベルヌ条約における特例にかかることになり、本校の末尾にも大いばりで畦地真太郎・訳を貼り付けることができるというわけである(ただし、ロシア語→インターネット翻訳→英語からの重訳であり、あくまで雰囲気訳である)。詩は代表作「バビ・ヤール」と同年(1961年)に書かれており、名もなき人々のかけがえのない人生と、その人たち1人1人が持つ世界について記されている。
 私が小学2年生の終わりに札幌に転校したので、その時、弟は3歳半だったのだと思う。2月転勤という父の勤務先の不思議な制度のため、社宅アパートの前の公園には、まだ雪が積もっていた。母が引っ越し荷物の片づけに追われる中、弟を連れて公園に遊びに行った。道内の親戚宅に行ったことはあるとはいえ、思えばそれが弟にとっての「初雪」だったのだろう。いつもの砂場で遊び出す調子で靴と靴下を脱ぎだした弟を必死に止めたが、ついに裸足になってしまった(ちなみに一度も兄の言うことを聞いた試しがない)。当然のことながら、すぐに足は真っ赤になり、冷たさのあまり弟は絶叫して泣きはじめた(ちなみに感情の発露に限度というものがない)。おろおろする私は、「公園の外の歩道まで歩いて出たら、家までおぶって帰れる」(体格が小さかった当時の私にとって、雪の中を10数メートル、弟を背負うことは無理だった)などとなだめすかしたが、その場で母を呼び叫び続けながら、頑として動かない(ちなみに略)。危険だが、置き去りにして家まで母を呼びに戻ろうと決心したとき、たまたま通りかかった知らないおばさんが騒ぎに気づいてくれた。私が母を呼びに行く間に弟を見ていてくれ、足がそれ以上冷たくならないように抱き上げてくれていたのであった。
 その時、弟は何を考えていたのだろう。本当に彼の初雪だったのだろうか。本当に砂場と間違えたのだろうか。その冷たさ、心細さ、痛みを覚えているだろうか。彼とはそのことについて話し合ったことはない。そして、もう話し合うことはできない。
 彼は18歳の時に、小児ガンで死んだ。なまじ病気知らずで体力があったために、発見されたときには「余命1ヶ月」と宣告された。それから一時は寛解し高校進学もできたのだが、結果、闘病2年余でこの世を去った。
 あの、さくら公園での出来事は。私が弟をどう動かそうとしたか、弟がどれほど泣き叫んでいたのかは。もう私しか知らない。そして私が死んだとき、そのような小さなエピソードを知るものは誰もいなくなる。ここに記した小文も、データの見えない闇へと吸い込まれてしまうだろう。しかし、その経験が、感情が、雪の冷たさが、小さな子供の力ではどうにもならない絶望が、私の中の札幌を形作る、私を形作った札幌の、地域表象となっている。それぞれの人々が、それぞれに持っている世界が、初雪が、どのような意味を持ち生者の宇宙を作り上げているのか。考え続け、行動し続け、そして後につなぎ続けていくのが、我々「生き残った」者に与えられた義務なのだろう。

「人々」 エフトゥシェンコ, E.

つまらない人などいない
人の命は星の物語と同じ
ひとつひとつが違い、特別で
同じ星などひとつとしてない

ひっそりと生きる人がいて
目立たずに人生を歩むとしても
かけがえないことを示すのだ
その取るに足らない人生こそが

人は誰でも秘密の世界を持つ
最良の瞬間も
最悪の時間も
誰にも知られることはない

そして人が死ぬとき
その人の初雪も死ぬ
最初の口づけも、最初の喧嘩も
その人と共に消えてしまう

たしかに残る。本は、橋は、
車は、画家のキャンパスは
たしかに多くのものは残る
しかし何かが消え去っている

これが冷たいゲームのルール
死ぬのは人ではなく、世界
地上に生きた人々を我らは知っている
しかし本当の何を知っていたというのだろう?

兄弟の、友人の何を知っているというのだろう
たった一人のその人のことでさえ
そして父のことでさえ
全てを知りつつ、そして、何も知らない

人は去り、帰らない
秘密の世界も取り戻せない
でもそれをいつも求めてしまうのだ
その取り返しのつかない悲痛から
(畦地)

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